22歳の誕生日に泥棒がはいりました。 って、いきなりですがあんな事もあったな~・・と思い書いてみます。 14日バレンタインデー行事で浮かれ過ぎた私は、翌日から体調を崩し扁桃腺がはれてしまう。 なんと、、今年も喉がイガイガしています。(病は気からでしょうか?) そして17日誕生日を迎えるのです。毎年だいたいこんな感じです。(笑) 21歳の冬。あらら・・もう10年前ですね。 3年間お付き合いしていた男性との別れを決断して、一人でアパート探しをビレッジボイスやニューヨークタイムズ、デイリーニュースの物件欄をみてはオープンハウスにかけつけていました。 ニューヨークは家賃が高くてマンハッタンの便利なところでのでひとり暮らしなんて出来るわけがありません。 私は2ベッドルームの物件を家賃600ドルの条件で探していたのです。 一部屋をアトリエにしかったので、新たなスタートには2ベッドルームが必要だったのです。 それまで住んでいた場所はブルックリンでもプロスペクトパークに面した綺麗なアパート。 夕方には公園を散歩やジョギングする人たちを眺めたりして、一言で言えば環境が素晴らしい。 ブルックリンでも、とても爽やかなエリアに住んでいました。 そこからの引越し。しかも家賃1000ドル1ベッドルームから、2ベッドルーム600ドルの格下げです。何軒も何軒も捜し歩き、くたびれ果てていました。行くところすべて会社から通勤2時間もかかるような駅から30分も歩かないといけないような物件ばかり・・・。 あきらめかけていた頃ビレッジボイス(新聞)で最高の物件を見つけました。 オープンハウスへ行くと、ボールが転がってしまう斜めの床のリビングルーム、歩くとギシギシ音のなるキッチンでしたが、窓から見える景色が素敵でした。 裏庭というか三角地帯になっているため窓から大きな樹が見えて光が沢山差し込むアパートでした。 ここがいい!と思い、大家さんに猛烈アピール! と~~っても太ったおばちゃんで、オープンハウスでの人との対応と2階まで上がる階段に疲れ果てた様子でした。 もうね~私つかれたわ。ぎゃはははは。と、、、笑う大家さんをなんだか好きになってしまい何故か二人で大笑いしたのを覚えています。その日のオープンハウスには80人ほど見学があったと聞いていたのであきらめていましたが、おばちゃんに気に入られたようで私がアパートに住む権利をゲット出来たのです。 初めてのニューヨークでの一人暮らしのスタートにドキドキワクワク。 引越しももちろん安いチャイニーズの引越しやさん。仕事がはやい!と、聞いて紹介してもらっただけあり本当に早かった。朝もはやければ仕事もはやい。チャイニーズムーバーは3人で来て一人は腰の曲がったおじいちゃん。荷物の見張り番でした。 そしてはじまった一人暮らし。 でも周りの環境はといえば、、下町というのでしょうか、、。簡単に言えば、プエルトリカンの町内とメキシカンの町内がありその隣にバングラデシュの町内その隣にポーリッシュの町内がそしてその向こうはロシアで、その向こうがカリビアン。私のアパートはバングラデシュとプエルトリカンの真ん中。プエルトリカン音楽とアラーの神へのお祈りの音で朝を迎えるアパートでした。 Fトレインでチャーチアベニューで降りるとジロジロと観察されながらアパートまで徒歩5分を歩くのです。引越しして1週間後韓国人経営のクリーニング屋さんへ行くと、あそこのアパートに先週引越ししてきた人ね。日本人はこの街ではあなただけよ。と言われて驚きました。マンハッタンに住んでいた頃は2件となりに誰が住んでるか知らなかったから、下町(?)を感じました。 しかし、、、2月にはいって間もない頃ジュースを買いに行くとプエルトリコ人デリのおやじが変な事をいうのです。 きをつけろよ。戸締り忘れないでハニー。って・・。 その後泥棒がはいったのが17日。 忘れもしない22歳の誕生日でした。 近所のプエルトリカンのデリにいつもたむろして私の帰宅をジロジロ見ていた彼らのいじわるというか、、いたずらだったのです。病み上がりで17日会社に行き帰宅すると玄関のドアが開いていました。ファイヤースケープから侵入してCDやらステレオ カメラ、テレビまでもっていかれてるのです。 警察に電話したらやってきましたよ。ポリスマン。 指紋をひたすら調べて部屋中粉々にしまくるポリスが一人と、おしゃべりばかりしてニコニコ笑っているポリスが2人。3人もやってきましたが、もちろん何も解決することはなくテレビが無いとサインフェルド(コメディドラマ)が見れないからかわいそう。といってテレビの安いお店を紹介までして帰っていきました。 泥棒にはいられても、気持ち悪くても一人で泣きそうになっても、また新しい場所に引越しする事は出来ないのでこれが彼らのこの町の歓迎儀式だと思い日本に帰国するまでの3年間この町で暮らしました。 泥棒にはいられてもたくましく(?)暮らしているうちに、駅からアパートへの帰宅途中5分の徒歩中ジロジロと見られることは無くなり、ハローと挨拶されホームパーティーに誘われるぐらいその町に馴染んでいたと言うか・・・。あたたかく、たくましいマイノリティーエリアにすっかり私は溶け込んでいました。でも、ホームパーティーに誘われても私のお気に入りだったCDやテレビを発見するのが怖くてパーティーに行く事はできませんでしたが。^^; 9年前の話になりましたが 長々と 2月17日の思い出話書いてみました。 今日は31回目の誕生日。 お母さん産んでくれてありがとう。 たくましく美しく美しく!年をとっていきたいと思っております。
by vvmikivvjazzvv
| 2006-02-17 07:51
| newyork小話
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